酒と煙草

まず端的に申し上げて私は「酒」が嫌いです。さらに言うと、もちろん全部が全部というわけではないのですが、酒好きの人、酒の出る環境、酒の場のあとの空気を含めて酒に付随するあらゆるものが嫌いです。(もちろん自分が極端なまでに酒に弱いという事実も少なからずその要因にはありますが)一方「タバコ」に関してはそこまでの嫌悪感を抱いておりません。好き、かどうかについては別に好きでもないというのが答えですが、世の中で忌み嫌われているほどの強い負の感情を抱くということはありません。

 タバコはよく「臭い・健康に悪い・モラルが問われる」などの点で世間から非難を受けます。これに対してはその通りであると思います。タバコの煙の臭いは衣類に着いたらなかなか取れませんし、呼吸器官に悪影響を及ぼすことも明らかですよね。否定しようのない事実です。しかし、私が疑問というか突っ込みを入れたいのはそれ自体ではなく、タバコばかりがそのような批判を受けて酒に対しては基本的に寛容な態度がとられるということなんですよね。私からすればこの風潮は本当に許せないもので、一言で言うと「都合が良すぎる」と。これについて詳しく説明していきます。

 まず、社会では長らくの間酒はし好品であると同時に「相手との心からのコミュニケーションを図る媒体」として扱われてきました。「飲みニケーション」という言葉もありますよね。しかし、私からすればこれはきわめて身勝手で傲慢なものです。タバコに「吸っても大丈夫な人」と「吸ってはいけない人」がいるように、酒にも「飲める人」と「飲めない人」がいるのは事実。しかし、世の中では圧倒的に前者が多い。加えて、前者の人間としては、酒を飲めば高揚感であったり解放感が得られて日ごろの鬱憤を忘れ去ることができる(らしい)ので、社会全体の風潮として酒を「尊いもの」と見なす流れができてしまいました。そうするとどうなるかは非常に単純明白で、私のような「飲めない」側の人間は「酒付き合いが悪い人間は信頼できない」や「酒を飲むことは集団で生きる人間として同調を示すものなのに、それができないのはマナーのなっていない証拠」など、いわば「アウトサイダー」として排斥されます。また、この風潮によって飲める側でも特に強い人間がマウントを取れるようになってしまっています。冷静に考えれば、ジョッキ一杯の水を一気飲みしたところで無意味なのは誰にとっても明らかですが、ジョッキ一杯のウオッカを一気飲みすればその人には「酒が強い」や「エンターテインメント性がある」などの「ステータス」が自動で与えられます。急性アルコール中毒による救急搬送が後を絶たないのもこれが大きいと私は考えます。

デメリットは以上に挙げた社会的文脈でのものばかりではありません。酒はタバコと同様に「臭い・健康に悪い・モラルが問われる」の要件をきっちりと満たしておいます。でもタバコほど忌み嫌われることはない。それはなぜか?ここまでお読みの方にならもうお分かりかと思いますが、社会全体が社会的に有効なコミュニケーション媒介手段として酒をよきものとしているから。だから、デメリットはタバコと同じだけあっても、酒のそれについては黙殺される。一方、社会性を身に着けさせる道具ではないタバコはことごとく非難される。泥酔して街中で大声で騒ぎ立てる連中よりも、静かにモクモクと煙を立てる人間に厳しい社会ができてしまった。「タバコの煙、特に副流煙は人体に害を及ぼす!」とはよく声高に叫ばれるものの、飲みすぎで血流が爆増して意識朦朧、昏迷状態に陥るという決して少なくない事例に関しては誰も触れない。それどころか、むしろ酒を積極的に摂取せねばならないという風潮。圧力。合理的とは到底呼べない「意図的な差別意識」がここにはあります。

 

さて、ここからは感情論メインの話になります(笑)残念ながら私の周囲にも、「社会的な付き合いとして酒の席ではすすんで飲まねばならない。飲まない、ましてや飲めないのは恥」のような発言をする人がいます。さらに面白い(?)のは、その人は体質的にタバコの煙を摂取してはいけないらしく、SNS等でもタバコの話題となると半ばヒステリックに「タバコは周囲の人間の生命をも脅かす。本当に根絶せねばならない」と声を荒げます。とても不思議ですね。酒を「体質的に」摂取してはいけない人間を無視する態度を取っておりながら、タバコに関してはその考慮を徹底しろとの発言。アルコールに脳を冒された人間の思考回路が垣間見えますね。そしてテンプレートのごとく、自分はこれだけ飲めるんだとのマウントを取ることもたびたびあります。たくさん飲めてえらいね、褒めてほしいのかな?私が毎日とは言わずともタバコを少しだけ吸うようになった要因の一つとして、タバコを吸いながらこの人と同じような態度を取って接し、この人が涙目になるのを眺めたいから、というのが少しだけあるような気がします。ただ根底として、私はタバコが社会をつなぐツールにならねばならないとの考えも、これを用いて「無実な人に」マウントを取ろうなどの考えも無いのでご安心ください。